農業はバクチ?

多くの方は農業をバクチ的なものととらえているらしい。確かに現在多くの農家は自然リスク(収穫量が分からない)と市場リスク(いくらで売れるか分からない)の両方にさらされていて、かなり厳しい状況にある。自然リスクは仕方ないのかもしれない。だが市場リスクを甘んじて受け入れているのは農家自身だ。植える前から販売価格を決めた取引をしてる農家も存在するし、話したことのあるアメリカの農家なども大豆や小麦先物を使って市場リスクを軽減させる努力をしている。

僕にとってのバクチとは、こちら側にリスク決定権がない状態のことを言う。分かりやすい例はパチンコや宝くじ、カジノや競馬だ。勝負に参加する前から胴元である店やら国の取り分が決まっているから、参加者は残りの小さくなったパイの分配をめぐって争わざるを得ない。宝くじの当選確率を改善する根本的な方法は、過去に当選が出た販売店を探し歩くのではなく、50%にもなる法外な国の取り分引き下げを要求することなのだが、そう考える宝くじ購入者は少なそうだ。つまりはリスクを変動させる能力を農家がもっていれば、農業は決してバクチではない。逆にその能力を放棄して農協などに頼るのあれば、確かに農業はバクチなのかもしれない。なにも農業に限らず、考えることを放棄すればどんな仕事でもバクチになるということだろう。

食べるという万人共通行為に関わる仕事がどうしてバクチになるだろうか?さらには自然栽培という植物本来の力を引き出す農法は、「育ちたい」という本能的欲求をもっている植物にその力を発揮してもらう環境を整えることに過ぎない。これがバクチだとはとても思えないし、早いとこそれを証明したい。

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