書評:『日本の食と農-危機の本質』

神門善久(NTT出版、2006年)

農業経済学者による300ページ超の力作。日本の農業問題の本質(というかほぼ全ての社会問題の本質)をえぐり出した一冊。農業問題を消費者・農協・政治の各観点から解説してあるが、特筆すべきは消費者編。あまりに厳しくそして正しい指摘に圧倒された。一言でまとめれば、「消費者たる市民の意識が低いがために政治は人気取りのポピュリズム政治になりさがり、農協や官僚機構は既得権益の拡大に精を出す」というおなじみの構図。農業・建設業界・原子力村などなど、特に閉鎖性のある業界には共通した構図だ。農協や官僚機構を政治側からのチェック機構なしに野放しにすれば組織利益の最大化を目指すのは当たり前。間違っても彼らが市民利益の最大化を目指すなどと勘違いしないことだ。何か問題が起きると政治家や官僚を槍玉にあげるのが日本メディアなどの慣例のようだが、結局は組織の一員でしかない官僚や、当選しなければ無職になる政治家を責めても何も解決しない。問題の本質が自分たちの市民意識の低さにあるということを多くの日本人が認識する日は来るのだろうか。こうした本質的な議論を展開する知識人がいるという事実に救われるとともに、一番本書を読んで欲しいような当事者意識の低い市民が本書を手にする可能性がほぼゼロであるという事実に暗くなったりもする。

評価(5段階、5が最高):5 (特に第2章)
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 筆者は、利便に走ることを咎める気持ちはまったくない。大袈裟にいえば、少なくとも産業革命以降の人類の歴史は、消費者のわがままをゆるし、利便を高めることで発達したといえる。その結果、家庭の仕事の外部化が進み、それによって経済成長を遂げてきた。感傷的に利便追求を否定するのは非現実的である。
 大事なのは、消費者の利便性追求のために、犠牲になったものがたくさんあるという冷徹な事実である。食の改善のために利便性追求を見直す覚悟(用意)ができているかどうかを、まず消費者が自らに問いただしてほしい。その覚悟(用意)がないのに、食の改善を求めるのは、消費者エゴである。(p.29-30)

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