カテゴリー別アーカイブ: 考え事

有機農業の祭典を終えて

2月4、5日にかけて、阿蘇で九州/山口の有機農業の祭典に出席した。参加者400人。ホテルの大きな部屋が一杯になっていた。原発が大きなテーマ。いまいち具体的なアクションプランが出なかったのが残念だ。原発事故から遠く九州では、なかなかリアリティをもって感じられないのか?

とりあえず個々人レベルでの対応は電力購入量を低下させるしかないと思っている。電力会社とは、その名のとおり「電力を売る会社」。会社が一番困るのは、商品を買ってくれないこと。我々消費者が電力に依存すればするほど、電力会社は強力になる。必要不可欠なものを提供しているのだから当然だ。消費者が電力会社にその力を与えていると言える。電力を使わないか、少なくとも電力を買っていない人はほとんどいない。その意味では、我々一人一人が加害者だと言える。知らず知らずのうちに加害者になっていたのは実に悔しい話であるのだが。対応策は二つ。根本的には電力購入量を下げること。電力購入量が下がれば下がるほど、電力会社の力は弱まる。もう一つには発電源別電力購入の選択肢を要求すること。引き続き電力を買いたい、だけど原子力発電は嫌となればこの選択ができるようにするしかない。

「原発反対」や「脱原発」といっても、具体的なアクションプランなくしては全く説得力のないスローガンに成り下がってしまう。多くの有機農家は強い意志を持っていると感じるし、自然と向き合う日々から本能的に物事の本質を捉える力があるのだろう。だが、それを大多数の人が暮らす社会のルールに翻訳する能力が欠落している。資本主義や民主主義のルールに照らしてどういう戦略が一番効果的か。その議論を期待したいし、それなくしては原発問題のみならず、有機農業そのものも大きく広がる可能性はないと感じた。常識に抗える強い意志を持った者にしか有機農業がなし得ない現在の結果が、有機農産物シェア0.5%という数字だろう。もっと万人になじみのある価値観、例えば経済合理性などに訴えかけないと、大きな広がりは期待できないのではないか。例えば有機農業シェア5%にするにはどうするか?その戦略は、現在とは大きく違ったものになると思う。

作業ログ 2月1日(水)+ゴボウの栽培工程を考える

0900 – 1130 ゴボウの草取り(トンネル)
1400 – 1530 鶏舎から鶏糞搬出。ヒナを迎える準備。
1530 – 1600 じゃがいも堀り
1630 – 1830 配送

午前中は小雨が降るなかゴボウの草取り。11月下旬に種まきしたゴボウ。マルチ+パオ+穴空きトンネルをしているが、防寒しているせいか雑草が絶好調。60メートル列が6本あるが、2時間半除草して約40メートルしかできなかった。全部やるには6倍、単純計算で15時間。

ゴボウの栽培工程を考えてみる。更地からの耕転>ソイラー>マルチ張り>種まき用穴開け>種まき>パオかけ>トンネルかけ>除草>パオ片付け>間引き>(必要に応じて除草)>トンネル片付け>収穫>マルチはがし>耕転して更地に戻って次の作付けにすすめる。ここで重要なのは工程ごとの作業時間。おそらく最も時間がかかるのは除草。いかに他の工程が早くできても、結局のところ除草が間に合わなければよい収穫にはつながらない。

最近、元田さんはトラクターに附属できるマルチャー+播種機、さらにはマルチ折り機械を買ったらしい。これらの機械によって確かに早くなる工程はある。しかし最も時間がかかる除草問題は全く解決されない気がする。例えばマルチャーと播種機を使い、現在「マルチ張り>穴開け>種まき」という工程の半分の時間で現在の4倍の作付けができるかもしれない。この工程だけ抜き出せば、生産性は8倍。しかし、それと同時に現在4倍の除草時間が要求される。単純計算で60時間。しかもこの時期、元田さんはネギ苗の除草に忙しい。ゴボウに多くの除草時間が割けるのか、はなはだ疑問。一番時間がかかる工程が改善されないかぎり全体の生産性は向上しない。例えば足の速い子から遅い子までを連れて遠足に行くとして、到着時間は足の遅い子次第。グループとしての到着を目指すには、足の遅い子を如何にフォローできるかが勝負になる。これは色々なビジネスでよく出てくる問題。「ザ・ゴール」という本に詳しいです。

自然栽培が凄いかもしれないと思った2度目の出来事

自然栽培は凄いとか言われたりするが、普段そう思うことは少ない。慣行農法で作物を育て事がないから、そもそも比較対象がないからかもしれない。そんな中、昨日は久しぶりに凄いなと思える2度目の出来事があった。

ちなみに1回目は元田農園に来てすぐ、元田家の汲取式便所が全く臭わなかったこと。これは強烈な印象だった。祖母宅の汲取式便所が臭くて嫌いだった身としては、信じられない思いだった。元田農園に見学に来る人は、畑もいいが便所を訪問してほしい。毎朝の用を足しながら、確かにブツは真下に落下していながらもトイレ内は全くの無臭なんだから信じられない。食料がいいから分解されやすいのか、食料がいいから腸内微生物層が違うのか、食料がいいと排泄物が分解されやすいのか、トイレ内の微生物がよほど優秀なのか、さてさて。食生活はというと元田家は乳製品は少ないが、肉は食べるし、卵はかなり多く食べていると思う。ときにはジャンキーなモノも食べていながら、この悪臭のなさ。これには驚き、いや感動すら禁じ得ません。

そして2回目。雑草まみれになったマルチをはいでいると、夏野菜のトマトの実が転がっていた。トマト本体はとっくに枯れているから、この実は少なくとも2、3ヶ月前のもの。気温が低くなったとはいえ、外にトマトを転がしておけばどうなるか。例え雑草が日陰を作ったとしても、おそらく腐るのではないか。黄色い小粒トマトはちょっと皺が入ってるくらいだったので、かじってみた。かすかなアルコール味のあと、懐かしい酸味が口に広がった。トマトの糖分がアルコール発酵したのだろう。出来のいいぶどうであれば、ほっとけばアルコール発酵するという。同じ理屈だ。りんごの自然栽培で有名になった木村さんは、畑の隅で何年も前に詰めたりんごジュースを見つけた。飲んでみるとワインのようになっていたという話を思い出す。今年の自然栽培トマトは、ほとんど実がならなかった。そんな厳しい環境の中で、トマトは相当気合いを入れて数少ない、生命力に溢れた実を残したように感じた。話に読むのと実体験するのでは別次元の感動。

理屈っぽく自然栽培

「自然栽培」とは肥料や農薬を使用しない栽培方法。農機具に関しては、鍬や鎌のような人力に頼ったものからトラクターやコンバインのように発動機を使うものまで利用制限はない。 考えてみればおかしな言葉だ。そもそも「栽培」という行為が人為的なわけで、それに「自然」と付けることは矛盾していると思っていた。 「有機野菜」のように消費者への分かりやすいキーワードとして「自然栽培」も使われているのだろうが、それにしても不思議な言葉だ。 自然という言葉があまりに軽く扱われる時代への違和感を感じながらも、「自然な栽培」と読み解くには無理があるので、 今は「自然の力を最大限に引き出す栽培方法」という意味にとらえて一応は納得することにしている。

作物が育つには、いくつかのステップが必要だ。例えば栄養分(窒素・リン酸・カリなど)について考えてみる。
(1) 土壌に栄養分が供給される
(2) 土壌に栄養分が保持される
(3) 作物が土壌に保持された栄養分を吸収する

肥料を使わない栽培は、多くの人の常識に反するらしい。だが、それは上記(1)-(3)のどこが難しいと考えているのだろう。 例えば化学肥料の投入は(1)の作業にあたる。しかしいくら化学肥料を入れても、作物はその栄養分をすぐに使うわけではない。 作物が必要とするまで、土壌に栄養分が保持される必要がある。保持力の弱い土壌では肥料の多くが溶脱して地下水汚染につながったりもする。 さらに土壌に保持された栄養分についても、それを作物が全て利用できるわけではない。根の機能性や根圏微生物との共生など、栄養分を吸収するのも一仕事だ。

一つ確実に言えることは、栄養分の総量を比較すると (1) > (2) > (3) になるということ。実際の数字は分からないが仮に(2)の土壌保持率を50%、(3)の作物吸収率を20%としよう。 その場合、100供給した栄養分のうち、100 x 50% = 50 が土壌に保持され、50 x 20% = 10 が作物に吸収されたことになる。 作物の生育に直接影響するのは(3)だ。それを高めるには供給量全体を多くするか、土壌保持率・作物吸収率を高めるしかない。 仮に土壌保持率を50%から75%へ、作物吸収率を20%から40%へそれぞれ改善できたとする。すると30の栄養分供給でも 30 x 75% x 40% = 9 が作物に吸収される計算になる。大きな問題は、自然界からの栄養分供給量がどれくらいあるのかよく分からないところ。降雨や地下水経由だったり、作物の残渣や根もゆくゆくは栄養分になる。 常識的には、土壌にあった栄養分を使ってできた作物を収穫した手前、補充しなくては栄養分が足りなくなると考えてしまう。 しかし自然の仕組みはそんなに単純にはできていないのかもしれない。多くの庭先にある柿の木が、肥料農薬なくして毎年実をつけ続ける事実をどう説明するのだろう? 自然栽培で30年以上栽培できている人がいる事実をどう説明するのだろう?たしかに30年間できたからといって、31年目もできるという確証はどこにもない。 たとえ1000年間できたからといって、1001年目にできなくなる可能性を否定することはできない。 でもその可能性は低いのではないだろうか。そうだとすると、間違っているのは我々の常識なのかもしれない。

自然栽培と言うと自然の力を信じる宗教的な取り組みと思われるかもしれないが、私は理論的に裏打ちされた土壌保持率と作物吸収率を高める行為だと理解している。 土壌保持率はCEC(陽イオン交換容量)で計るが、これは土壌内の腐植の量に関係がある。つまりは腐植をいかに増やすか。 作物吸収率は個体差もあるから一番難しい。その土地にあった個体を選別してエリート教育していく以外には思いつかない。 ここで必要になるのは、画一的な種を買ってくることではなく、自家採種する技術になる。腐植増加と採種技術が自然栽培を可能にする2本柱だと、今のところは思っている。 この考え方の最大の欠点はとにかく時間がかかること。腐植増加にしても自家採種にしても、短くても5-10年プロジェクトだろう。 遠く向こうに桃源郷があるような気がしなくもないが、そこへの道のりがやたら険しそうなのもまた事実。やれやれ。

農業分野以外についての考えも、個人ホームページで発信しているので、もしよかったら覗いてみてください。

自然栽培による稲作の実態レポート

農業において栽培記録や作業記録、原価計算を目にする機会は少ない。それは個別農家が公開していないからかもしれないし、そもそも記録を付けている農家が少ないからかもしれない。多くの農家は家族単位の個人経営だから色々と適当なのだが、なにより労務管理が適当だ。その結果として人件費の算出ができず、原価計算がないから作物をいくらで売れば収支トントンになるのかも分からない。数が少ない有機栽培や自然栽培での原価計算となれば、なおさらだ。有機栽培や自然栽培は「大変だ」と言うけれど、本当だろうか?具体的に何が、どれだけ大変なのだろうか?「大変だ」というなんともとらえどころのないイメージが語られる一方で、比較客観的な比較材料はほとんど与えられていない。私はこの現状がとても不思議だった。

元田農園では私の提案をもとに、5月から日々の作業量の集計を始めた。稲作の作業が一通り終わった今、ようやく意味のあるレポートにまとめることができた。元田さんの承諾もいただけたので、一般に公開して自然栽培における稲作の実態を知って欲しい。もちろんこれは熊本県にある農家のほんの1例であり、しかも2011年の結果にすぎない。より多くの農家がデータを共有しあってノウハウの蓄積向上に努めることなしには、なかなか進歩は難しいのではないだろうか。たしかに1人の農家は米を年に1作しかできない。しかし、例えば10人の農家とデータや経験を共有することで、1年に1作以上のノウハウを蓄積することは可能だと思う。自分自身では年に1作しかできないからこそ、どうやったらその遅々たるノウハウ蓄積スピードを補えるかを考えなければならないはずだ。

レポートをダウンロードするにはここをクリックしてください。以下の5部構成になっています。(※注 11/14にレポートの内容を一部訂正しました。以前のレポートでは高町2・清滝3についてリードアップを使用していないと記載していましたが、実際には使用していましたので訂正します)
1、収量について
2、作業量について
3、収支について
4、追加施策
5、使用機材一覧

感想や質問、データ共有などなど、よろしくお願いします。

人参の種子消毒

販売されている種の多くには、種子消毒として薬品がまぶしてある。そう、種まきをする前から農薬の使用は始まっている。種子消毒に土壌消毒に。。。特に人参は消毒された種が多いらしい。固定種というF1交配していない種を扱う数少ない種苗屋である野口種苗の人参コーナーもこの通り大根コーナーと比べてみれば、種子消毒が多いことが一目瞭然。

最近播いた人参2種(黒田五寸、時なし五寸)もご多分にもれず、チウラムとイプロジオンで消毒されている。農薬毒性の事典で調べてみた。

チウラム-殺菌剤、忌避剤
イプロジオン-殺菌剤

人参の種は発芽に光が必要なため、覆土を少なくする。ちょっとでも雨が降ったりすれば、種が露出してしまうかもしれない。それが鳥や野ネズミに見つかりやすく狙われやすいことは想像できるから、百歩譲ってチウラムの忌避剤としての効果は認めましょう。でも、殺菌効果のイプロジオンとかってなんで人参に特に必要なんだろう?野菜の中でも人参が弱くて育てにくいということでもないと思うんだけど。結果としては、よく分かりません。なぜ人参に種子消毒が多いのか、誰か教えてください!

かんぴょう(その3)

日光種苗からかんぴょう剥き機が到着。剥き機と言っても、小さなピーラーでしかない。これで送料込み890円は高いと思うが、専用品だし他に見つからなかったので購入。かんぴょうを輪切りにしてピーラーで短冊を作る。手作業かんぴょうの外部動画はこちら()。動画を探していたら、たまたま知り合い(東京で酢飯屋という寿司屋をやってる岡田さん)が作ってる動画にあたった。

僕が作った後の台所はこちら。

物干竿に干した状態はこちら。短冊の厚みにムラがあるから、干した途端に切れて落下したものも多数。結局試作第1号は2.6kgからこれだけのかんぴょうしか作れなかった。。。とほほ。

手作業ピーラーでは時間がかかるし歩留まりが悪いと多少イライラしてた。考えるに3ヶ月もかけてここまで育ってくれたかんぴょう。最後の加工や料理工程が数時間や数日余計にかかったっていいじゃないかとも思える。それが3ヶ月かんぴょうに対する礼儀でもある気はする。そんなお利口なことを考えていたら夕立が。。。干し始めたばかりなのに。明日は朝からやってみます。

かんぴょう(その2)のエントリーはこちら